経済格差とその源泉
経済格差とその源泉
今井亮一
2002年05月14日
目次
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はじめに
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様々な経済格差
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格差の源泉
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格差は拡大しているのか
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参考文献
はじめに
本稿では、様々な経済格差が生ずるメカニズムを考察する。
最初に、いくつかの重要な概念について整理する。
まず、不平等(inequality)と不公平(unfairness)を区別することが必要である。
不平等とは、単に、格差のあること、である。
これに対し、不公平とは、同じものが異なった取り扱いを受けることを表す。
不平等がある、と言う時、そこには価値判断はない。一方、不公平がある、と言う時、そこには批判的な価値判断が含まれている。
一般には、不平等があるから良くない、という言い方がしばしば安易になされる。しかし、不平等それ自体がただちに悪いことにはならない。世の中には、不平等な状態のほうが正しい、と価値判断されることもある。
我が国では、例えば『不平等社会日本』と大々的に誇示された本のタイトル帯を見ると、つい「不平等」それ自体を悪いことのように考えてしまいがちである。しかし、直ちに悪いと判断できるのは不公平であって、不平等があるいかどうかは、自明ではない。
正当な努力の結果、所得に格差が生じた場合、そのような不平等は悪いから税金をかけて所得再分配しよう、という議論は短絡的である。
プロ・スポーツ選手や芸能人、企業のオーナー経営者等が、一般労働者の数十倍の年収を得ていることはよくあることである。それを直ちに、悪い不平等だ、と言う人は少数派であろう。
本稿ではこのように、不平等を、単なる事実の表現として用いる。
次に、フローの不平等と、ストックの不平等とを区別する必要がある。
フローとは、ある一定期間に発生したモノの合計である。例えば、時給、日給、週給、月給、年収は、すべてフローである。フローの表示には、必ず合計した期間が付く。一時間、日、週、月、年、という具合に。
一方、ストックは、ある一時点でのモノの残高を表す。あなたが今、銀行に預けている金額は、ストックである。
紛らわしい場合もある。例えば、「貯金いくら持ってる?」と訊かれた場合、それは、今という時点におけるあなたの「貯金ストック」をたずねられている。これに対し、「毎月5万円ずつ貯金している」という時、それは、一月という期間に貯金した金額というフローを言っている。
失業率とはフローか、それともストックか? もちろん、ストックである。2002年4月時点の失業率、というように、失業率には必ず時点が表示される。
「昨年一年間に処理した不良債権額」、「昨年一年間に新たに発生した不良債権額」は、いずれもフローである。これに対し、「2002年3月決算期における銀行の不良債権額」は、ストックである。もう十分だろう。
様々な経済格差
人の生涯を考えてみよう。われわれは親から多かれ少なかれ遺産を相続する。そして毎年、賃金所得を得、その一部を貯蓄に回し、資産を形成していく。そのうち資産蓄積が進むと、賃金のみならず利子・配当等の資産所得を得るようになる。
しかし、資産所得は、要するにわれわれが稼いだ賃金の一部を貯蓄して運用した収益を加えたものである。したがって、生涯の予算制約式は、次のように書ける。
生涯消費の現在価値=生涯賃金の現在価値+遺産
そこで、不平等を論ずる場合には、賃金格差と遺産格差を検討すれば十分なことがわかる。
それを行う自分の保険の和解交渉
将来の所得は適切な割引率で割り引くことによって、現在価値に直す必要がある。例えば、来年の100万円は今年の100万円と同じ価値を持たない。100万円を貯金すれば来年には元本に加えて利子を受け取れるからである。
利子率が2%であれば、来年の100万円の現在価値は、
100÷(1+0.02)=98(万円)
となる。同様に、40年後の100万円の現在価値は、
100÷(1+0.02)2=45(万円)
である。このように、毎年の賃金を割り引いて現在価値に直し、すべて足し合わせたものが、生涯賃金の現在価値である。生涯消費の現在価値についても、どうように計算できる。
賃金格差(フローの格差)
日本は、これまでのところ賃金格差は小さいと言われてきた。しかし、最近、成果主義賃金体系への移行が進み、格差が広がりつつあると言われている。
遺産格差(ストックの格差)
かつて、株価と地価の上昇が続いたので、1990年までは、ほぼ一貫して遺産の格差は拡大した。しかし、バブルが崩壊し株価・地価が下落したことによって、2000年までに、遺産格差は大きく低下したと考えられる。
格差の源泉
以下では、賃金格差の源泉は何かを考える。以下の整理は、大竹文雄『労働経済学入門』(日経文庫)を、大きく参考にしている。
年齢
日本企業では、年齢を加えるにしたがって賃金が上がる賃金体系、いわゆる年功賃金を採用してきたと言われてきた。そのため、労働者は、若いうちは生産性に見合った水準を下まわる賃金をしぶしぶ受け取り、年を取るとそれをはるかに上回る高給を得ると考えられている。
事実、日本企業の年齢−賃金プロファイルは、他の先進国と比較して、著しく急勾配である。
したがって、中高年労働者がいったん解雇されると、生産性に見合った賃金しか提示されないため、元の職場で得ていた賃金で再就職しようとすると職が見つからないということになる。これがいわゆる「職のミスマッチ」と言われる事態である。
労働環境
いわゆる「3K労働」とは、「きつい、汚い、危険」な仕事のことである。しかし、多くの場合、これらの仕事の賃金は、その他の仕事のそれよりも高い。このように仕事の負担が大きい仕事の賃金が高くなることを、補償賃金格差と言う。
教育、学歴、学校歴
労働者の受けた教育水準によって生まれる賃金格差は、広く観察されている。ここでは、高卒、大卒、大学院卒等の区別を「学歴」、同一学歴の中でどの学校を出たかによる区別を「学校歴」とよぶことにする。教育による賃金格差には、次の2つの考え方がある。
まず、教育それ自体が労働者の生産性を高めるという、人的資本理論がある。
例えば、読み書きや加減乗除のような簡単な算数を初等教育で教わらなければ、われわれはまともな社会生活をおくることができないだろう。さらに、大学院を修了した工学博士は、ロケット・エンジンを開発できるが、高卒ではせいぜい自動車の整備士にしかなれない。もちろん、ロケット・エンジン開発者の賃金は、自動車整備士のそれよりはるかに高い。
次に、教育は人間の生産性を高めることはないが、企業が労働者を選抜するのに有用なシグナルを与える、というのがシグナリング理論である。この理論の提唱者スペンス教授は、2001年のノーベル経済学賞を受賞した。
人間はもともと不平等であり、生まれつき生産性の高い人とそうでない人がおり、教育によって生産性を高めることはできない場合も多い。しかし、企業がそれを採用前にあらかじめ見極めることは極めて難しい。もし、生産性の高い人がより高い教育水準を選択してくれれば、企業はそれを生産性が高いことのシグナルとして認識することができ、彼らをしかるべき生産性の持ち主として採用することができる。
コンサルタントは何をしている
例えば、一流大学に合格することは、将来仕事ができる人のほうがそうでない人よりも易しいとする。すると、将来仕事ができる人は一流大学に行き、そうでない人はそれ以外の大学に進学する。したがって、企業は、将来、仕事ができる人に育つだろうと予想して、一流大学の卒業生を好んで採用する。こうして、就職における「学校歴差別」が起こる。
しかし、東大卒には変人が多いとか、仕事の出来と学歴・学校歴は関係ないという見方も根強く存在する。しかし、平均的に見て、一流大卒の中に生産性の高い人が多ければ、企業が学校歴に応じて採用を決めることは合理的になる。このように、個人の特性はよくわからないが、集団としての特性は明らかに観察される場合に発生する差別を、統計的差別という。
教育によってどの程度の格差が生じているのであろうか。
矢野真和は、我が国の大学進学収益率は、2000年現在、約6%である、と報告している。
まず、大学進学の収益とは何だろうか。それは、大学卒業時点(例えば22才)からの、大卒者と高卒者との生涯賃金格差である。それは、約8000万円と推定されている。
次に、大学進学のコストとは何か。それは、学費と放棄所得の和である。
私立大学の場合、4年間の学費は約400万円である。放棄所得とは、4年間大学に行く代わりに、もし働いていればもらえたであろう賃金のことである。高卒の初任給は年収でみて240万円前後である。多少の上昇を考慮すると、4年間で1000万円程度が、放棄所得になる。すなわち、大学進学のコストとはおよそ1400万円である。
この計算で、大学生の生活費は考慮する必要はない。就職しようと進学しようと、生活費は同じようにかかるからである。
大学進学とは、4年かけて1400万円を投資して、その後約40年にわたって8000万円を収益として回収するという投資である。その収益率はいくらであろうか。
大卒後、毎年発生する大卒と高卒の年収格差を年々割り引いて足し合わせたものが、生涯賃金格差の現在価値、すなわち、大学進学の収益の現在価値である。
プロジェクトのコストと収益の現在価値が等しくなる割引率を、投資の内部収益率と言う。すなわち、大学進学の内部収益率とは、
学費+放棄所得=生涯賃金格差の現在価値
が成り立つように、将来の毎年の所得格差を割り引く割引率である。
矢野によれば、1960年代には、大学進学の収益率は9%程度であった。現在、それが6%になったということは、大学進学収益率は長期低落傾向にあるようにも見える。
しかし、ゼロ金利の現在、6%というのはたいへん有利な投資プロジェクトである。1400万円持っていれば、銀行に預けても0%の金利しか付かないが、大学進学に投資することによって、6%の金利で回るということである。世間の親が、生活費を切り詰めて息子、娘を大学に進学させるのは、きわめて合理的な行動なのである。
アメリカは実力主義、というイメージがあり、学歴と収入は関係ない、と思われているが、大きな誤りである。同様に計算された、アメリカの大学進学収益率は、約12%である。
事実、アメリカの大卒と高卒の賃金格差は、日本よりもはるかに大きい。
それだけでなく、アメリカでは、大卒と大学院卒の賃金格差もまた、非常に大きいのである。
日本とアメリカは違う、という声もあろう。しかし、経済のグローバル化が進むと、教育の収益率も同じような傾向を示すというのが、もっともらしい将来ではなかろうか。
産業
例えば、金融業の賃金がその他の産業よりも高いことは広く知られている。このような産業間格差を説明する理論として、次のようなものがある。
まず、観測されない能力および労働環境の差が考えられる。
心のトップ
賃金格差の実証研究においては、労働者の属性について、学歴、年齢、勤続年数など、観察可能な属性はコントロールされる。例えば、同一学校歴、卒業し、同一年齢、同一勤続年数の労働者でも、金融業で働くか、その他の産業で働くかによって賃金に格差が生じている場合にのみ、賃金の産業間格差がある、ということになる。
したがって、その他の属性をコントロールした上でなお、金融業の賃金は高いとすれば、観測されない能力や労働環境の差が存在することになる。例えば、同じ学校歴の中でも優秀な者が金融業に就職しているとか、金融業特有の仕事のきつさ(ストレス等)がある場合には、金融業の賃金は高くなるのである。
次に、効率賃金仮説がある。
企業は、労働者が怠けたり、不正行為を行うことを防ぐために、労働者の賃金を引き上げるインセンティブがある。怠けや不正が発覚したときに労働者は解雇されるが、もし賃金が高いと、解雇によって発生する損失が大きいから、労働者はまじめに働こうとする。
これは、正社員と契約社員・派遣社員・パート社員の間に存在する賃金格差を説明するのに有用である。正社員は企業の業務遂行にあたって重要な秘密を管理し、「忠誠心」という言葉で表されるような責任の重い仕事を遂行している。したがって、彼らが怠けたり、不正をはたらいた時に企業が被る損失はきわめて大きい。そこで企業は、正社員の賃金を引き上げ、失業の機会費用を高めることによって、彼らの怠業、不正を防いでいる。もし、契約社員等と同じ賃金であれば、正社員の「忠誠心」は失われ、企業の業務遂行に支障を来すかもしれない。
金融業の場合、社員の怠業・不正によって被る損失は他の産業よりも大きいと思われる。したがって、金融業の賃金は高いのである。
最後に、規制によって生まれる産業レントを考える必要がある。
賃金が高い産業は、おおよそ規制によって新規参入が抑制されていることが多い。参入が制限されていることによって、その産業で企業と労働者が分け合う産業レントは大きくなる.金融業は、他の産業に比べて規制が多く、個々の企業の「もうけ」が大きいので、より高い賃金を支払うことができるのである。
男女差別
男女の賃金格差を説明する理論として、まず、ベッカーによって提唱された「差別仮説」がある。
管理職が男であり、男の方が女よりも仕事ができると思い込んでいると、男子社員には責任は重いが「もうけ」の大きい仕事を与え、女子社員には補助的な仕事を与える。すると、成功した男子社員は会社の業績に貢献したとされ昇進し管理職となるが、女子社員は補助的業務に据え置かれる。こうして、「男性のほうが仕事ができる」という偏見に基づいた業務分担、賃金体系が再生産されてゆく。
次に、統計的差別の理論が重要である。
女子社員の少なくとも一部は、結婚・出産によって退社する。したがって、仮に同一の能力を持った男女の新入社員に同一内容の社内研修や能力開発プログラムを提供しても、長期的にその収益は男子社員のほうが女子社員よりも大きい。そこで企業は、女よりも男に生産性を高める教育の機会を提供するので、結果として男性のほうが女性よりも賃金が高くなる。
格差は拡大しているのか
アメリカでは1970年以降、様々な次元で見た賃金格差が拡大しているとされる。その原因として最も有力なのが、「スキル偏向的技術進歩(Skill-Biased Technological Progress)」である。
アメリカでは、情報技術(Information Technology)が経済成長の原動力となり、これに習熟した労働者への需要が高まり彼らの賃金が高まる一方で、それ以外の労働者への需要が後退しその賃金は低下した。具体的には、ITに比較的容易に習熟できる高等教育修了者の賃金が、中等教育のみの労働者の賃金よりも相対的に高まった。つまり、アメリカでは、ITに偏向した技術進歩によって、賃金の学歴間格差が拡大したという解釈が有力である。
日本ではこれまで、学歴間賃金格差はそれほど大きくないとされてきた。しかし、最近では、高卒に対する正社員の求人は激減しており、フリーターのような単純労働に従事するしかない状況が生まれている。今後ますます、経済の「知識集約化」が進むとすれば、学歴間賃金格差は拡大すると予想される。
最近、我が国の所得構造では、不平等の尺度であるジニ係数が上昇し、格差拡大が進行していると言われる。これについては、橘木俊詔(1999)『日本の経済格差』(岩波新書)を参照せよ。
近年の不平等化の原因は、企業内で成果主義賃金が定着し、学歴、年齢、勤続年数といった属性に還元されない能力差に基づく賃金格差が拡大したことである、という見方が広く一般に受け入れられつつある。
これに対し、大竹文雄は、異なる解釈を提案している(大竹文雄(2001)『雇用問題を考える』(大阪大学出版会))。大竹らの研究では、同一年齢内での所得格差は、この20年間、驚くほど安定しているとされる。労働者全体での格差が拡大したのは、人口に占める高齢者、中高年の割合が増加したことが原因である。一般に、若年者内の所得格差は小さく、年齢が上がるにしたがって格差は大きくなる。引退した高齢者では、所得格差は著しく大きい。そこで、人口の高齢化が進むと、ジニ係数を計算するにあたって、高年齢層の比重が高くなり、結果的にジニ係数は高くなり、見かけ上の不平等拡大が観察されてしまうのである。
社会学者の佐藤俊樹は、話題の書『不平等社会日本』(中公新書)において、近年、我が国では職業の親子継承性が高まり、「機会の平等」が失われつつあると警告した。彼によれば、親がホワイトカラー上層部(いわゆる管理職、W雇上と表示される)や医者、弁護士等の専門職である場合、子が同一カテゴリーの職業に就く確率が、そうでない親を持つ場合よりも高くなる傾向が、近年、非常に強まっているとし、日本は、努力が報われない社会になりつつあると言う。
子供がどのような職業に就くかは、どのような教育を受けるかに決定的に依存する。平均的に見て所得の高い管理職、専門職の子は、親の教育への関心が高く、子の教育に支出する金額も大きい。したがって、これらの職業に就く確率は、親がそういう職業である場合には高く、そうでない場合は低いと考えられる。このこと自体は、一種、当たり前であり、価値判断はともかく驚くべきことではない。
注目すべきは、佐藤が、このような傾向は高度成長時代を通じて弱まったが、近年、再び強まりつつあると主張していることである。
参考文献
大竹文雄(1998)『労働経済学入門』(日経文庫)
大竹文雄(2001)『雇用問題を考える』(大阪大学出版会)
近藤博之編(2000)『日本の階層システム3〜戦後日本の教育社会』(東京大学出版会)
佐藤俊樹(2000)『不平等社会日本』(中公新書)
橘木俊詔(1999)『日本の経済格差』(岩波新書)
「中央公論」編集部(2001)『論争・中流崩壊』(中公新書ラクレ)
矢野真和(2001a)『教育社会の設計』(東京大学出版会)
矢野真和(2001b)「新・学歴社会の設計」(『エコノミックス』(6)、東洋経済新報社)
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